湊雅博 | www.masahirominato.com
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『「LAND SITE MOMENT ELEMENT」に寄せて 』天野太郎(美術批評)

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ここで集う8人の写真家は、風景をキーワードに3期に分けた展覧会を組織した。最大公約数としての「風景」は、しかし、8人の写真において、まったく異なる形で提示されることになる。とは言え、吉村朗の返還前の香港の都市風景(1996年)を除けば、本展の風景写真には、90年代に盛んに見られた都市の機能から逸脱した空間への眼差しが、一見したところ影を潜めているように見える。言わば、都市風景において、打ち捨てられた風景への積極的な眼差しをここで強く確認出来る訳ではないということだ。むしろ、関心は対象へと向かうのではなく、振り向かれることのない風景への撮り手の眼差し自体にその重点が移行したかのようだ。そして、写真にとって普遍的な課題、「見られたもの」と「写されたもの」との差異、ないしは一致-−-限りなくこの距離を縮めようとしている相馬泰の場合等-—-において、それぞれの撮り手の内在する記憶と視覚(あるいは知覚)のせめぎ合いが見られるのだ。

従って、本展の作品に「風景」という主題以外の共通点を見出すとすれば、それは、いずれも、写された対象それ自体に強く興味が引かれるものではない、という点だろう。ドキュメンタリー写真を持ち出すまでもなく、家族のアルバムや、風俗写真、ポルノグラフィーのように、そこに映された対象に何よりも観者の興味が殊更注がれる類いのものではない、ということ。それは、言い方を変えれば、写された対象よりも撮影をした作家=著作者の意図に作品存在の意義を見出そうとしているということになろうか。ところで、作り手の意図=眼差しに重点が置かれることは、モダニズム芸術における作家性の優位をも担保するものだ。写真の分野においては、アンリ・カルティエ=ブレッソンが掲げたモットー、すなわち絶対的な構図の優位、演出写真の否定、トリミングの拒否に見られるように、その表明の背景には、写真誕生から20世紀の半ばまで、イメージの著作権は、写真家ではなく長らく出版社や報道機関に帰属していたことを雄弁に語っている。ブレッソンの作為なき写真は、その後、エルスケンやウイリアム・クラインの演出された作品によって、反旗が翻されるのだが、いずれにせよ作家性が重要視されることになったことに変わりはない。一方、風景においては、クラインのもとでアシスタントをつとめていたジャン=マルク・ビュスタモントによる「tableau」が、1977年から制作が開始される。この90年代の空虚な風景を先取りするような作品が登場して以降、写真家は、断片にすぎない現実世界の一こまを、何ら変哲のない風景として注意深く構図取りすることで、その断片性をさらに強化させることになった。そして、写されたものに対する観者の期待、すなわち、その真実性や事実性については、宙づりにしたまま提示されてしまうのだ。

ところで、スペインの建築思想家であるイグナシ・デ・ソラ=モラリス・ルビオーによる「テラン・ヴァーグ」が、田中純によって訳されたのは、1996年のことだ(1)。「何かしら一連の出来事が起こったのちの放棄された空虚な所」として定義付けられたこの言葉は、90年代の風景写真を語る有効な「概念用語」であった。あるいは、当時の写真の多くに、この言葉から誘発される「空虚」、「曖昧」といった意味が読み取れた、という方が正確かもしれない。「忘れ去られたかのようなこのような場所においては、過去の記憶が現在よりも優位であるように見える」と描写される風景写真。いくら2009年が、100年あるかないかの未曾有の経済不況で幕明けたとは言え、80年代後半からのバブル経済がはじけ、90年代の前半が、それこそまれに見る経済不況の時代であったことは、未だ記憶に新しいところだろう。地上げによって生まれた更地が、日常の風景として、しばしの間、放置されていた時代。ところが、その時からすでに10数年を経た今、かりにテラン・ヴァーグの視座を風景に付与しようとしたとき、このロマン主義的な記憶への復活すらも反古にされようとしているのが今の有り様だろう。記憶への憧憬は、廃墟という時間的、空間的差異さえも無効とさせる時代のアクチュアリティによって葬り去られてしまっている。このような中では、写真家は、ただリアリティの中で戯れることにしか、その活動の場が見出せなくなっているのだ。現実世界の姿形が、実際に変化していることを意味しているのではないとは言え、その変容の速度は、およそ人的な感性では追いつけなくなっている。テラン・ヴァーグとして意味する風景が、当時の逞しき経済活動—新たな高層ビルの林立等—によって消滅したのもつかの間、風景全体が、今や予測不能のリアリティとして現前化されている。

但し、テラン・ヴァーグが、都市の内部にありながらも、都市の日常的活動である生産や消費を行わない、つまり都市の外部であり、都市のシステムとは異質な存在であり、自己内部に潜む他者であり都市の無意識であるとすれば、本展の風景写真もまた、「自己の内なる「他者性」の空間化されたイメージ」であることに変わりはないのかもしれない。

ところで、先に触れた「空虚」としての「テラン・ヴァーグ」は、モダニズム絵画が空虚をイリュージョンとして経験することとは異なる批評原理だ。記号論的に言う、イコンとしての絵画にたいするインデックス(指標)としての写真において、空虚なる風景は、イリュージョンとして存在などしない。そもそも、空虚とは、非在の概念にすぎないのだし、それは、言わばロマン主義的な言説の延長にすぎないからだ。従って、ここでいう空虚とは、文字通り何もない、ということになろうか。あるいは、それは、何もないのではなく、何ものかは「ある」、あるいは「あった」、という事態。こうした言わば「コードなき」風景から、廃墟が想起され、過去の記憶が優先される新たな「物語」が再生産されてきた。現代の、つまりここでの風景写真は明らかにその流れの断絶の上に成立している。

坂本政十賜は、都市風景を中心に作品化している。ここでの都市風景は、改めて都市における人間関係の希薄さや、お互いに無意識のうちに取り合う距離感に都市における「危うさ」や「不気味さ」が浮上している。モダニズム以来の都市の「予断を許さない」現実は、確かに写真にとっては今なお尽きることのない題材だ。一方、山方伸の作品からは、撮り手が、それが旅であるのかどうかは別にして、移動の中で出会った風景であることが了解出来る。山方は、様々な場を訪れ、それぞれの風景と対峙するが、そこには、まさにその風景を現前化させようとする山方自身が浮上する。これは、同様に都市を徘徊しながら風景に向かう相馬の眼差しとは決定的に異なる点だろう。次の場に誘うような余地を残した風景が何点か散見出来るのも、山方が注ぐ眼差しが移行という行為の中で示されている。都市風景を撮影した相馬は、山方のように移動する際に見逃せない風景というよりは、およそ見逃すか、あるいは、意識外にある風景を丹念に救い上げている。結果、日常の中において打ち捨てられていた風景に、俄然新鮮な眼差しを意識させる作品である。ここでは、極めて確信犯的な、つまり「見られるもの」と「写されるもの」との限りない一致を見ることが出来る。吉村のぼやけた都市風景は、記憶と結託しているはずの写真イメージが、その虚ろな眼差しによってむしろ忘却への逃走とでもいうべき事態を示している。全体を想起させない部分とでもいうべき構図は、吉村とは異なる意図によって、広田敦子がイメージ化している。尽きることのない迷走を想起させる眼差しは、それぞれの対象との見慣れない距離感を生み出すと同時に、それ自体が撮り手の内的意識を隠喩化し、シークエンスとして展示されることで、ここでは、新たな物語が再編されようとしている。鈴木奈緒の都市風景に写り込んでいる人々は、鈴木の眼差しの意識外にあり、その姿はどれも日常の行為において没入している。また、明らかに撮り手の予想外のものが写し込まれる可能性を予期しており、このことが、イメージから一種の演劇性を回避させ、日常的な美すら感じさせる。越田滋は、「メトロポリスの骨格を構成する巨大な下部構造の幾何学的配置」(イグナシ)、または人工的自然物への眼差しを示しつつも、そうした支配的な都市風景の中に見出せる「亀裂」のようなイメージに関心を注いでいる。今回の作品の中でも、湊雅博の作品は、これまで見た風景写真とは決定的に異なる。というよりも、これは、風景写真ではない。徹底した平面化、正面性。とは言え、モダニズム絵画のような構成要素の自律化がここで見られる訳ではない。むしろ、その表情は、豊穣でもあり、過剰でもあり、部分から全体へ、全体から部分へのトートロジーとでもいうべきイロニーさえ漂わせている

1)“Anyplace”,NTT株式会社,1996年。田中純氏は、東京大学大学院総合文化研究科准教授。

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